1月 英語論文【Why new approaches are needed】 lain florian
要約;初めに特殊教育は、大多数の子供たちに提供されているものと並行した教育システムとして争われている地域を占めている。特別支援システムがない国では障害児が利用できる教育システムはほとんどない。しかし、特別教育が存在することによって生じる問題も生まれてくる。その一番大きな問題というのが差別である。特別支援教育政策の枠組みは、特別支援教育がなければ学校教育から除外される人々に教育を受ける権利を確保することを目的としており、逆説的に教育内の不平等の問題を生み出した。
多くの障害者は日常生活を代表する活動に有意義に参加する機会を拒否すると予想される。なぜなら、障害は定義上何らかの方法で仲介されない限り機能を制限するものだからである。このジレンマは特殊教育の文献で認められており、特殊教育自体が社会正義の問題であるか、それとも解決策であるかについて激しい議論の対象となっている。
各国は子供と大人の両方のすべての人々の基本的な学習ニーズに対応するよう求められている。貧困を削減し繁栄を促進することを目的とした開発権など、その他の重要な権利も注目されてきている。障害のある学生の教育に対する概念は「万人のための教育運動」を通して定義されている。
感想;支援学級は私達日本人にとってはあって当たり前のものだという認識であると私は考える。そして支援学級にそれといって大きな問題はないものだと考えていたが様々な問題が存在することにこの論文をよんで気づくことができた。障害を持っていることは大きなハンデになることに違いはないがこれが差別につながることが多いにあるということは非常に残念なことだなと思った。しかし、障害を持っている人も健常者と平等に教育を受けるべきだと私は考える。何らかの部分に支障がある人のことを障害者という名前でひとくくりにしてしまうこともよくないことではないのかと思った。
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