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Interview

TSUNAGARing

青年海外協力隊 兵庫県OB・OG会 副会長 坂口 玲子さん​「国際協力に踏み出す一歩を後押しする」

課題には国内も国際もなくボーダーレスである」

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坂口さんは、中学校教師のお仕事をされながら、青年海外協力隊兵庫県OB・OG会の副会長として活動されています。過去にJASID-JASNIDSが主催する、TSUNAGARingをはじめとしたさまざまなイベントにご参加いただきました。今回は、坂口さんの協力隊時代のお話や現在のご活動について、今後の国際協力に関するお話など様々なお考えをいただきました。

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大学生の頃の思い出や国際協力に興味を持ち始めたきっかけについて教えていただけますか?

 

 大学生の頃には国際協力や途上国支援にあまり興味はなかったように思いますが、高校時代に特別支援学校でボランティア活動をしていたことはありました。それ以前には漠然と外国に住んでみたいなという思いがあったりました。

 大学を卒業してから神戸市立の小学校の音楽の先生をしていましたが、最初は日本人学校に行きたいなと思っていて、そのためのセミナーを受けに行ったりもしていました。その頃に、たまたま電車の中吊りで青年海外協力隊のポスターを見て、「こっちの方が面白そうだ。」と思って応募しました。

 それにつながることとしては、私はクリスチャンなので、まあそういうこともあったかなと思います。

 

青年海外協力隊としてパラグアイの方で音楽教師をされていたと伺っておりますが、パラグアイが派遣先に選ばれた経緯について教えてください。

 

 青年海外協力隊に行くには何か技術を持っていることが必要ですが、私が持っている技術は音楽教育だったので、まず職種は必然的に「音楽」となりました。また「音楽」の中にも色々あって、例えばオーケストラやブラスバンドを指導するというような内容もあるのですが、応募した1984年の要請には私にできそうな「音楽」の要請は全部パラグアイからの要請だったので、合格したらパラグアイになることは分かっていました。

 まあ、私はどこの国でもよかったです。

青年海外協力隊としての現地での活動内容、一番思い出に残っているエピソードをお聞かせください。

 もう30年も前のことなので、覚えてはいなくて・・・。

帰国隊員の話を聞くと、「私は協力隊員としてその国に何も残せませんでした。」という人がよくいます。でもたった2年間の協力隊活動で結果が顕著にあらわれることはあまりないでしょう、でも10年後20年後に結果があらわれてくることもありますよと、よく話しをしていました。でもそれは、私が「きっとそうだ。」と思って言ったことで、自分で実感していたことではありませんでした。

 実は私にも「自分は2年間でいったい何をしていたのだろう。」という気持ちがずっとあったのです。

それが一昨年の夏、協力隊から帰国して30年後に初めてパラグアイに里帰りし、私が活動していた村に2週間ほど滞在したのですが、多くの方が私のことを覚えていてくださり歓迎会をしてくださいました。

 その中にかつての私の生徒、30年前に小学生だった男性がいて、「これって先生が教えてくれた歌だよね。」と言って、あるスペイン語の歌の最初のフレーズを歌ってくれました。そのことに本当に涙が出るくらい感動しました。これは協力隊時代の思い出ではないですけど、今一番心に残っているエピソードです。

 パラグアイに初代の音楽隊員が派遣されたころには、パラグアイには子どものための歌があまり無かったようで、私が派遣されたころには、歴代の音楽隊員が周囲のスペイン語圏の国々からスペイン語の歌を集めて編集した、子どものための歌集がありました。私の時代にはその歌集をバージョンアップしたのですが、子どもたちはとても喜んでその歌を歌ってくれていました。

 それを30年後になって、1人の男性が覚えているということは、ひょっとしたら「他の人も覚えていて、自分の子どもに歌ってあげているかもしれない。」「その子が大きくなったらまた自分の子どもに歌ってあげるかも・・・。」と考えると、「私のしたことが何も残っていなかったわけじゃなかった。」という思いで胸がいっぱいになりました

 

現在、兵庫県の方で中学校教師としてご活躍されているとお伺いしておりますが、青年海外協力隊での経験から日本の子どもたちに教えていることや、その経験を活かして行っていることなどがございましたら教えていただけますか。

協力隊の経験や途上国の話などを、特別な機会にまとめて話そうと思うことは今はありません。でも、日常の生活の中で、私の考えを生徒たちに伝えたいと思っています。

私は今、中学校で英語のアシスタントをしています。アシスタントなので自分で授業内容を考えることはないのですが、英語の先生と相談して、私の経験を英語の文章にして授業で使わせてもらったことが何回かあります。

 英語の教科書の中に載っている話は、「He said 〜」や「She did ~」という、子どもたちの直接知らないどこかの誰かが主人公ですが、私の作った英語の文章の「I did 〜」や「I met 〜」は、生徒たちの目の前にいる私です。これは顔を合わせて日本語で体験談を話すのと同じことですけど、私が「I」を使って体験談を話すのは、それなりのインパクトがあるんじゃないかなと思ってやっています。

 

 

 

ご自身にとって国際協力とはなんであると捉えられていますか。

 言葉にすると口幅ったいというか、堅苦しいですけれども、私が目指しているのは「世界平和の実現」です。そんなことは私が生きているうちには無理だと思いますけど、そのための一歩は、「世界には自分の知らないことがたくさんある。」ことに気付くことだと思います。

 私は周りの人から「坂口さんは、世界のいろんなところにいっぱい行った経験がある」ように思われていることがありますが、そんなことは全く無くて、でも、協力隊の帰国隊員や、外国人の方、JASID-JASNIDSの方々から色々な外国のお話を聞くと、知らないことがいっぱいあることに気が付きます。その気付きが、国際協力につながると思っています。

 

 

青年海外協力隊 OB・OG 会の副会長として現在はご活躍されていますが、そちらでのご活動内容について簡単に教えてください。 

 

 全国の都道府県に1つずつOB・OG会がありますが、それぞれの県で行われていることは様々です。兵庫県OB会では月に1回の定例会をしていて、前半は活動の報告や予定の話合いをしますが、後半は「座ッ句場欒(ざっくばらん)」と称して、ゲストスピーカーに国際協力に関するお話をしていただいています。

 JOCAの活動への協力もしています。JOCAは協力隊のOBが作った公益社団法人で、協力隊での経験を日本や海外で活かす、さまざまなプロジェクトを展開していています。

 JICAの活動にも協力しています。例えば、JICA関西の夏祭りに出店してJICAの研修員や地域の人たちと交流したり、「JICA国際協力中学生高校生エッセイコンテスト」の一次審査を請け負ったり、毎年3回出発する隊員や、帰国した隊員が自治体に表敬訪問を行く際に同行したりしています。

 私がOB会活動をする目的、あくまで私の目的ですが、「1人でも多くの日本人を途上国に送り出すこと。」「行きたいけど迷っている人を後押しすること。」です。

 

 

毎年6月に私たちが開催しているTSUNAGARingにこれまで3回ほど参加していただいておりますが、参加してみたご感想や学生に思うことがあれば教えていただけますか。

 

 1回目は私が勝手に押しかけて、2回目からはゲストとして正式に呼んでいただきましたが、大学生が自分たちのできる範囲で色々な活動をされていることは素晴らしいことだと思っています。

 最初は、途上国支援している学生さんなので「協力隊のことは当然知っている。」だろうと思っていたのですが、意外と知らないことに驚きました。その後色々なイベントに参加させていただいたり、皆さんにゲストスピーカーとして定例会に来ていただいたりしているうちに、かなり協力隊のPRはできたかなと思っています。

最近は協力隊に関心をもって積極的に質問してくださる方も増えてきています。

 若い方の視線での活動を聞くのをとっても楽しみにしていますから、これからも呼んでください。呼ばれなくても行きますけど。(笑)

 

Jasnids では、国際協力の輪を繋げる Tsunagaring の他に、学生が国際開発に関する研究論文を発表する論文大会「JJ 政策フォーラム」を毎年開催しております。それをふまえて、青年海外協力隊の事業プロジェクトにおいて、このような国際開発に関する研究が十分に活かされていると思われますか。

 論文という形になっているので難しいことは分からないですが、皆さんがいろんな機会に途上国に滞在して、現地の様子を知った上での研究論文なので、中には面白いなと思うものもあります。

私が参加させていただいて思ったことは、その国が抱える問題の解決策を考えるには、その国のことをもっとよく観察する必要があるということです。

 皆さんは数週間から数か月という期間、それぞれの国に滞在されていると思いますが、それでは短いなと思います。学生さんですから仕方がないとは思いますが、最低2年間の滞在が必要だと思っています。

2年という理由は、同じ季節を最低2回経験することが重要だと思うからです。四季のない国もありますが、1月から12月を共に過ごせばいろいろなイベントや行事がありますから、1年目に経験したことは偶然かもしれないけど、2年目にもう一度経験したらそれは偶然ではないと思われるし、去年はそのイベントに参加できなかった、けど今年は参加してみようかなということができるわけです。

 短い滞在で調査した結果を聞いても「そこはもう少し調べてみる必要があるんじゃないかな?」というようなところを時々感じます。

でも、学生さんにできる限られた時間で、皆さんの考えを寄せ合って、先輩や専門家のアドバイスを受けて、独りよがりでない解決策を探っていくことができれば、きっと「今すぐ役に立つ政策」ではないかもしれませんが、「将来何かで/どこかで役に立つ政策」ができていくのはないかと思います。

 

国際協力を目的に活動している学生たちに期待していることは何ですか?どういったことを思われているのか等メッセージがあればお願いいたします。

 皆さんが活動を通じて経験したことは、将来の生活で必ず役に立つと思います。

それは、直接外国に関連する仕事に就かなくても、結婚して家庭を持ったとしても、ただの海外旅行に行った時にも、何らかの形で役に立つことだと思います。

大学卒業後はいろいろな方面のお仕事をされると思いますが、きっといろいろな機会に、大学時代に途上国支援活動をしてきた際にはこうだったな、ああだったなと思い出すことがあるでしょう。何年もそのように思い返すことが続いて、「今だな。」思った時にまた何かの形で途上国支援に関わってくださったらいいなと思います。

 私が知っているOBの方で、5年前にシニアボランティアに参加された方がいるのですが、「私がJICAボランティアに参加しようと思ったのは、中学時代の先生の話を聞いたからです。」と言っておられました。その先生の話をずっと覚えていて、でも海外とは関りの無い仕事に就いて、60歳になって会社を引退してやっと、「ボランティアに参加するのは今だ。」と思って行かれたわけです。素敵だなと思いました。50年ぐらい思い続けておられたわけですよね。

 皆さんもいつか「今だ。」と思った時にはチャレンジして欲しいと思います。

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 坂口さんの「学生や時代は流動してしまうからこそ、何度も伝えていく」という言葉がとても印象的でした。そして、どのお話からも坂口さんのパワフルさがにじみ出ており、このパワーこそが今の坂口さんにつながっているのだなと感じました。

 現在は、コロナ禍で行動範囲が狭められ、これまでの国際協力の形も問い直されていますが、世界のまだまだ知らないことを知るために、周りの人も巻き込んで知らせていくために。いろいろな形で自分にできることを行動し、発信していければと思います。

取材・文

​松村知周 坂田成優

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