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Interview

TSUNAGARing

関西学院大学経済学部准教授

栗田匡相先生にインタビュー

​「途上国の現場で実際に生きている人のために

なるのかどうか

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栗田先生は関西学院大学経済学部准教授として開発経済学と呼ばれる学問の研究をされています。

TSUNAGARingのイベントは全て出席頂きました。

というのも、私達JASID-JASNIDSの活動は栗田先生の研究室に所属するメンバーによって行われている為です。

今回は先生の研究分野から始まり、ゼミ生でも知らない先生の学生時代や教員に至った経緯など、栗田先生のストーリーに迫っていきました。

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研究について

栗田先生の興味関心のある分野は何ですか?

 世界最貧国家の1つであるマダガスカルの貧困問題を多面的に考えることです。その中でも、どのように農業の近代化を図るかということに現在は着目しています。農民がどのように近代化の流れに適応していくのかというプロセスに興味があります。

 もう少し具体的に言うと、近代化のプロセス、例えば新しい種子の普及などを考えてもらえればいいんですが、その中で人々のコミュニケーションやネットワークというものが人々の意思決定や決断にどのような影響を及ぼしているのかを定量的に研究しています。

「この技術使えばもうかりますよ」と、新しい農業技術を農民に説明しても農業って天候とかのリスクがあるので、そう簡単に新しいものへ飛びつくことはしないんですよね。やっぱり怖さがある。だから色々と言葉を尽くして説明したらいいんですが、世界には簡単な読み書きすらできないような人々が驚くほど多くいるので私たちが日本でやっているような普及のやり方だけでは人々の不安を取り除くのに不十分なんですよね。だからそういう人達に何かを伝えるために、現地にある人々のネットワークって大事になるので、それらをちゃんと把握することってとても意味があることなんですよ。

 さっきも言ったように、読み書きが出来ない人々って大勢いるわけで、そういった人達がこの先グローバル化が進む世界、AIなどが使われていく世界でどうやって生きていくのかなって考えると、えらい面倒くさい作業だけど何かしないといけないよなぁって、ある意味とんでもなく勘違いな気もするのですが、勝手な義務感を感じてやっていますね。

読み書きもできないような発展途上国の方たちをサポートするにはどんな方法があると考えておられますか?

 色々な方法があると思いますよ。ただ私が現在着目しているのは既に大人になった人たちへの教育サービスの提供です。途上国の農村で生きていても、世界で起きる様々な出来事と無関係ではいられない時代がグローバル化した世界なのだと思います。そういった時代の中で、読み書きもできないような人々がそれなりに自分達の人生に納得して、そして毎日を楽しく生きていくためには、もうすでに大人になった人達、とりわけまだバリバリと働いている人たちに対する教育を行う必要があると考えています。その教育とは単純な読み書き能力だけではなく、人生を自分で設計できるような計画性、論理思考能力といったことや、仕事にじっくりと向きあう忍耐力のような能力など、複合的な能力の開発が必要です。最近の言葉で言えば、認知能力と非認知能力の双方の開発が必要ということになるかと思います。そしてこうした教育の提供は、父親や母親といった年齢、立場にある人へされることが多いわけですから、彼らの子ども達にもいい影響があると思います。まさに私が今インドネシア、ラオス、エチオピア、マダガスカルなどでやっている(あるいはやろうとしている)プロジェクトではこうした能力開発を念頭に進めています。

栗田先生の研究の目標は何ですか?

 う~ん、これは普通の研究者とは違うところだと思います。そもそも私が開発経済学を専門的に研究している理由は、それが楽しいからやっているというよりは、研究を活かして社会に還元し、貧しい人々の役に立てる学問だからという理由が大きいですね。なので「途上国の現場で実際に生きている人のためになるのかどうか」というのが僕にとって研究をする一番大きなポイントだと思います。研究しておしまいにするのではなく、いかに実践するのかという方に興味関心がありますね~。だから逆に言えば、開発経済学が貧しい人のために役に立たない学問だと思ったら、他のやり方を探すと思います。

 貧困のこととか難しいことばかりなんですけど、なんかちゃんと考えたいってことなんだと思うんですよね。でもまあそれも難しい。小林秀雄の本を読んでいたら書いていたのですが、本居宣長が言っていたらしいんですが「考える」という言葉の語源は«カムカウ»と言うらしいんです 。

«カムカウ»の最初の「カ」は音を合わせるために言ってるだけですけど、ムカウの「ム」は身体、「カウ」は交わるという意味です。つまり「考える」っていうのは、日本語の語源的には体を交えて対象と取っ組み合ってやるみたいな意味合いらしいです。他にも石牟礼道子さんが言っていましたが、日本語の「考える」という言葉をアイヌ語では、「魂がゆれる」というそうです。石牟礼さんはこの言葉を近代的な権利意識とは無縁な、表現以前のデリカシーと言っているのですが、僕のようなデリカシーも無く、取っ組み合って頑張れる根性の無い人間は、本居宣長や石牟礼道子さんの言葉を思い出して、お前今ちゃんと考えてるか、って問い続けなきゃダメだなぁと思うんですよね。

 

栗田先生の専門分野でホットなトピックは何ですか?

 人の性格的な要素の話が自分の中では興味関心があります。それこそ、2020年2月にマダガスカルで調査してきた内容です。これまで心理学などで議論されてきましたが、最近では経済学の分野でもこうした研究成果を取り込んで議論してますよね、行動経済学とか。

 一般的な経済学では農業の制度について考える時に、インセンティブがどう影響するのかとか、技術普及の効率的な方法について焦点を当てていますが、それを更に突っ込んで私は人間の性格等にフォーカスして今まではあまりかえりみられてこなかったところを見たいと思っています。とても細かく、そして捉えづらいことではあるのですが、そういうところまで見ていかないと、やっぱりちゃんと役に立つ研究って出来ないと思うのでね。

 

先生がこれから1番やるべきことは何だと考えておられますか?

 開発経済学の分野で援助プログラムの評価を行う際に、しばらく前からよく行われるようになってきたのがRCTと呼ばれる実験的な手法です。こういうことが行われるようになって、個別の援助プログラムの評価などはすごく厳密に出来るようになり素晴らしい進歩があったわけですが、一方でより大きな政策的な議論や長期的な開発のビジョンなどを描ける人はほとんどいなくなりました。どれだけ頭の良い研究者であっても一人の人間の能力的にも無理なんですよね。だから一番やるべきことは、研究者と援助現場の実務家が一同に介して研究や実践の成果を結びつけて、大きな議論をすることだと思います。もちろんどれだけ研究をしてもプロジェクトを重ねても、間違いやら不透明、曖昧な部分は必ず出てきます。それでもミクロのエビデンスを積み上げて、協働して大きな議論を行うといったことが今どうしても必要だと思っています。実践と研究を結ぶということですね。そしてそのためには研究者も実務家もお互いのやってることをまずはちゃんと知る必要があります。

 私自身が現在実践的な研究という意味で行っているのは、マダガスカルの農業近代化を担う農業技術普及員の育成です。発展途上国で農業の普及員を選ぶ際には色々な方法がとられますが、先進諸国とは状況が異なるので、厳密な能力基準というよりは、人々のコネとか性格などが結構影響しているのかではないかと考えています。そのようなコネ的なものがなれ合いになってしまうと、農業普及のパフォーマンスという点でよりよい成果が得られない可能性があります。なので、実際にマダガスカルのような国で農業普及制度みたいなものを作るときに、ただ単に普及員を任命するだけじゃなくて、普及員が決定される意思決定の過程に含まれているコネのようなものを、排除するなり、あるいはうまく取り入れて改良するなりしていかなければならない。そのためには調査も実験も必要で、マダガスカル農業省の職員とかJICAなどの援助関係者とも協働していく必要がある。そして最終的に誰もがその研究と実践の成果を利用できないと意味がないので、マダガスカル農業省のスタッフにも理解してもらえる普及員の選抜から育成までのマニュアルを作っていきたいと思っています。まずは、これをしっかりとやりたいですね。

フィールド調査にこだわり始めたきっかけは何ですか?

 博士課程の1年生の時にミャンマーに調査にでかける機会を得ました。そこには経済学者だけじゃなくて、地域研究者とか、人類学者とか、熱帯農学を専門にしている人や、理工学系の先生とかが来ていて、一緒に調査できたことがとても面白かったのがきっかけですかね。そのミャンマーの調査では多面的にモノを見る事を学びました。

 一方で、当時ミャンマーは、ある意味でとても未開の地で、極貧の人だとか生きていけないようなレベルで生活している人達にも調査中にたくさん出会ってしまい、現実の貧困の厳しさを目の当たりにしました。この現状を知り、「自分の引き受けるべき課題」としてちゃんとやらなきゃいけないと思い始めたのが今の研究スタイルに繋がっています。

 例えば、調査にいって関わった人が翌年亡くなっていたということがあるように、人と人が向き合う時には覚悟が必要なのかもしれないと思っています。それを強烈に実感するのがフィールド調査なのかもしれません。フィールド調査にこだわっているのは、どこかでそういうところに魅せられてしまっているという部分もありますね。

今までで過酷だった体験は何ですか?

 それこそミャンマーの調査に行ったら去年調査をした方が亡くなっていたことですかね。ケニアでは、目の前で違う部族の人に自分の旦那さんの首を切り落とされて亡くしたという人にも出会いました。また、セネガルの調査村では、うちの学生も交えてみんなでダンスパーティを行おうとしていた数分前、本当に直前ですが、村で女の子が病気のために亡くなって、村人が地べたを這いずり回るようにして悲しんでいた場面に遭遇したこともありました。調査に協力してもらったお礼ということもあり村人達と仲良くなろうとダンスパーティを企画していたのですが、その最中で命を落とす小さな子どもがいて、自分たちは何をやっていたんだと何とも言えない惨めな気持ちを味わいましたね。

◇ストーリー

栗田先生が大学の教員をするに至った経緯

 う~ん、大学の教員にならないとダメだと思ったのは、博士課程に進んで以降ですかね。もともと小学校の先生になりたかったくらいは教えることは好きだったんですよ。

 まだ20代の頃で、博士の後期課程にいた頃だったと思いますが、非常勤講師として大学で授業を持たせてもらえることになりました。確か教える内容は経済学の入門で、一クラス150名ぐらいの大学1年生が対象のクラスを教えたと思います。自分の周りにいたほとんどの方が、大きなクラスでの講義で大変だ、とか、学生はうるさいだろ、とか慰めてくれたり元気づけたりしてくれていたのですが、私個人は大変だと感じることもなく結構楽しかったんですよね。現在では時々400名とかのクラスをもたされるので、その場合は難しいんですけど、それでもその時から今まで続けていることでもあるのですが、学生と1対1で話をするってことを続けています。例えばゼミのような少人数授業だと(とはいえ一学年20名ぐらいいて3学年いるので60名ぐらいにはなるんですが・・・)、一人の学生と最低でも卒業までの2年半にちゃんと時間を作って10時間程度は1対1で話していると思います。雑談とか飲みに行ったりした時に話す時間は含まれないので、そういうのを合計するともっと多いのだと思います。そして非常勤講師をしていた頃には、短時間ではありましたが、休み時間とか授業後に呼び出してサシで150名とちゃんと会話をしたんですよね。そうすると、1対1の関係ができているから授業中にうるさくする人が全然現れないんです。教育をするって別に偉そうに何かを教えるっていうよりは、もう少し人間的な付き合いの中で行われるものだと思っていたので、自分では1対1の関係を作るって人と人との関係を結ぶときに当たり前って思っていたんですよね(笑)。でも周りを見ると誰もそんなことやっていない(笑)。でも、その誰もやっていない人付き合いのやり方が、大学教育においてでも結構重要だってことにも気がつけたので、そこで、自分は普通の大学の先生がしないような教授法っていったらおこがましいですけど、そういうことができるんだなってことに気が付きました。

 そんな非常勤講師の経験をさせてもらえたのも博士課程が終わりそうな時で、それまでバックパッカーなどもやっていたこともあり今まで自分が途上国に行って得た経験を伝えながら、学生と1対1の関係を築きつつ、一緒に学生と成長するような大学教員になれたら面白いなと、その頃からは漠然とは思い始めていましたかね。あと、在籍中に学生結婚したのも大きかったかな。

 

博士課程が終わってすぐに大学の先生になられたということですか?

 博士論文を出した後、フィンランドの国連大学の世界開発経済研究所にポスドク(博士号をもらった後に任期付きの仕事などに従事している研究者のこと)の研究員として行きました。実はこの時はありがたいことにとある関東の大学からも常勤職として採用してもよいと内定のようなものをいただいていました。任期の無い常勤的なポストにつくのが難しいという研究者の世界で、「フィンランドに行く」というポスドクの任期付きの仕事を選ぶことって普通はしないはずなんですけどね。フィンランドに行って2年間程度でしたが、世界開発経済研究所で勤めることになりました。その後、早稲田大学のアジア太平洋研究科に2年ほどいて、現在の関西学院大学へと2010年に着任しています。

 リスクを計算したりすれば、フィンランドへ行くことは頭のおかしい人のすることなのだと思いますが、結果的にはそれでよかったと思っています。今思い返せば、色んな経験をして、自分で考えられる人間じゃないと意味がないと思っていたので、その時はとにかく自分が成長できることをキチンとして、後のことは後で考えようという決断をしたのだと思います。

先生としての思い出を教えてください。

 先生になってからの最初の先生らしい思い出と言えば、早稲田大学のアジア太平洋研究科で教員をしていたときの思い出ですかね。私はゼミを持っていたわけじゃなかったのですが、何故か多くの学生の修士論文などの相談にのったり指導したり、あるいは学生達向けの勉強会などをボランティアで開いたりしていたので、そこに参加してくれていた学生達が送別会を開いてくれたことが思い出ですかね。「先生のゼミ生第一号は私達ですから」とか言ってもらえたこともとても思い出深いことです。

 大学教員って「研究が第一で教育なんて二の次」っていう方が多い印象ですけれど、私自身は教育も研究と同じように重要だと捉えています。僕のようなダメな人間は、教育に携わることで自分自身が人として逆に育てられて豊かになっていることがよくわかるので、ちゃんと向きあわなきゃダメだなと思っています。ダメな人間がやる研究なんてダメに決まってますしね。それに自分が

育てられてるなぁみたいな実感がなけりゃあこんな色んなことに手を出しませんわな。わはは。

ちなみにいろんなことを詳しく知りたい人は、是非ともうちのゼミのWebsiteをご覧ください。

◇学生に対して

大学生を育てる上で苦労することは何ですか?

 苦労って実はあんまりよくわからないんですよね。同僚の人と話すときに「いやぁ、学生にも困りもんですよねぇ、ハハハ」なんて話をあわせるために苦労しているっぽいことは喋ったりするんですが、実は苦労ってよくわからない。多分大学生を育ててるって意識が自分にはほとんどないからだと思います。でも時間を取らなければならないことはもちろんあります。興味関心とかやりたいことが人によって違うので、教員側がしっかりとそれを理解して把握出来るように気を付けています。それこそ、一対一の関係を意識して学生と関わろうとしています。

 

今の学生に感じる課題はありますか?

 う~ん。うちのゼミ生には特に言いたいことはないですかね…。

 もし他の学生に何か言うとするのならば、「そんなに不安がらずにもっともっとできるのに。

君たちもっともっと世界はたのしいよ。」と言いたいですかね。それこそ、今受け持っている現代経済入門Bのような1年生向けの授業を持っていると、びくびくしている人が多いなと感じます。

世の中不安定で大変そうに思えるかもしれないけど、意外と大丈夫なこともあるよと言いたいです。そんなにガチガチになってやらないで、気楽に人とおしゃべりする中で学べることもあるよと言いたいですね。

 あるいは「そんなに世の中決めつけてると、世界の楽しさをほとんど知らずに残念なことになっちゃうよ」と伝えてあげたい学生も多いですかね。今のご時世、狭い人間関係とネットやスマホの世界で、なんか納得できちゃうところがあるので、冒険とかが流行るのってマンガとか映画とかドラマの中の世界だけで、自ら冒険しようって思わないですよね。でも自分が知らない豊かな可能性を具現化するには、予期せぬ出会いが必要ですから、結局冒険しないとダメなんですよね。学生の皆さんの中にはとんでもない可能性が沢山あるはずなのに、もったいないことをしているなってよく思います。

 

◇国際協力について

国際協力をしている学生に期待すること

 なんでしょうか。でも何か言えるとするならば、「絶対に面白いのでなんかやってみたら」と言いたいです。国際協力をやっている学生の方向性は大変素晴らしいと思います。だからこそ、そんな思いをもった自分をもっと信じてみてほしいです。それこそ、現地に赴くなどのアクションを起こすとかはどうでしょうか。そこから学べることもたくさんあると思うので、ぜひ行動してみてほしいです。

 私は大学1年生の時、10万円だけもってインドとネパールとタイに1か月半くらいぶらぶらと旅行をしたことがあります。さすがに10万円もあれば1ヶ月半程度は大丈夫だろと思って旅に出たわけですが、でもインドに着いた初日に3~4万円すられてしまったんですよね。その時は、人生終わりと思うぐらいすごく落ち込みました…。でも、そんなでも全然生きてこれたし、意外と何とかなるものだよってどこかで思ってるんですよね(超無責任ですが)。ただ、そのときにチフスになって帰国し、隔離病棟に入院させられ、家族には死ぬほど怒られましたが・・・

 

国際協力に興味を持ったきっかけ

 う~ん、きっかけか…。これといってないですね。大学院もそもそも行くつもりなかったんです。大学3年生の冬とか4年生の春くらいだったと思いますが、他の学生達は就職活動とかを徐々に始めていて、でも自分自身はぷらぷらしていた最中に、自分が所属していた国際関係学科の授業以外の単位もとれることを知って、そのときに初めて他学部でもある商学部の授業をとったわけですが、たまたま取った経済学説史の授業がとても面白くて、その先生の話を聞いているうちに「経済学っておもしろそう」「大学院に行くのもいいかも」と思ってそこから大学院試験の準備を始めたんですよね。その頃はミクロもマクロもなんじゃそれって感じでしたし、今思うとよく大学院試をクリアできたなと思うけど、そんな感じで行き当たりばったりでやってきました。

 

途上国に興味を持ったきっかけ

 

 もちろん学生時代にインドに行ったりしていたので途上国に興味がなかったわけではないのですが、とはいえ大学院で開発経済学を勉強しようなどと思って大学院に行ったわけではないんです。大学院試の際には環境のことを勉強したいと言っていたような気がします。大学院で開発経済学を専攻した最大の理由は、これも超いい加減なのですが、たまたま入学式の時に近くにいた人が

「開発経済学のゼミを見に行く」って言うからついていったのがきっかけですかね。その人は今でも大切な友人で研究者仲間なのですが、本当になんの当てもなくふらふらたどり着いた感じです。

 

先生にとって国際協力とは何ですか?

 国際協力といっても色々な次元のものがあると思いますが、基本的には自分の想いを起点として、人との関係性を築いて、時には衝突しながらもそれを基盤に活動、コミュニケーションをとって何かを成し遂げるってことですよね。

そういう意味で、ぶっちゃけると「友達作り」かなと思います。友達作りにおいては、人と人が向き合うということを真剣にして欲しいと思うし、自分自身も常日頃から気をつけているところです。

 人と人が真剣に向き合うこととは、安易な価値観の押し付けだとか、単純に考えを受け入れてもらうといった類いのことではもちろんなくて、何かがあったときにその場で一緒に耐え忍んでいられるという信頼を協働して作り上げていくということなのかもしれません。

 この行為は、国際協力をするという大きなアクションだけではなく、もう少し身近な人付き合いにも当てはまることなのかもしれません。だから身近な人付き合いを適当にしてたらダメですね。自戒を込めて述べておきたいと思います。

新型コロナウイルスで国際協力の形はどのように変わると思いますか?

 国際政治の状況を考えたときに、国際協力みたいなものが更に難しくなる可能性も高いでしょうし、喉元すぎれば的なものになってこの教訓を活かすことがほとんどないという可能性も十分あると思っています。新型コロナウイルスが広まった結果、例えば、人々の保健衛生の意識が高くなって、途上国の保健衛生環境改善関連の国際協力プロジェクトがやりやすくなるなどというような、良い変化のようなものはほとんど起きえないと思います。短期的には、当然ですがやらないといけない国際協力がやりづらくなってしまうでしょうし、実際にそうなっていますよね。なので状況的には国際協力という面ではとてもよろしくないと思いますし、それがしばらく続くのではないでしょうか。

TSUNAGARingの感想

 回を追うごとに運営側のレベルも高くなっているし、参加者も増えていますね。

TSUNAGARing参加者の真剣な議論を聞いていると、自分がやってきたことも間違いではなかったんだなと思えます。

 大変素晴らしい取り組みですし、この先の国際協力を担う人材がこれだけたくさんいるというのにも素直にうれしく感じます。参加してくれる学生や、協力してくださる教員の方ももっと増えて、色んな形でツナガリが増えていけば最高だなと思いますね。

国際協力に関わる学生にお勧めする本を教えてください。

 本ですか…。難しいですね。でもやはり「ストーリーで学ぶ開発経済学」ですかね(笑)。

とはいえ、調査にいった時とか旅行に行った時に、難しくて普段は読まないような本を持って行って読んでみるのは良いと思いますよ。面白いことに、非日常的な環境の中で難しい本を読むと、

意外とすっと入ってくることがあって面白いのでおすすめします。

◇終わりに

座右の銘を教えてください。

 座右の銘?なんでしょうか。まあ、強いて言うならば栗田ゼミの誓いですかね。あとは、スーザン・ソンタグの言葉で「傾注すること。注意を向ける、それがすべての核心です。眼前にあることをできるかぎり自分の中に取り込むこと。そして、自分に課された何らかの義務のしんどさに

負け、自らの生を狭めてはなりません。傾注は生命力です。それはあなたと他者とをつなぐもの

です。それはあなたを生き生きとさせます。いつまでも生き生きとしていてください。良心の領界を守ってください。」とか、V・E・フランクルの言葉ですが、「人生に何かを期待するのではなく、人生が自分に何を期待しているのかを考える」とか、あるいはジョン・ラスキンが言うように「人々はその出会うすべての人から教えられ、その途上に落ちているあらゆる物によって富まされる。最大なる人は最もしばしば授けられた人である」ってことのようなので、

「受け入れる」ってことですかね。

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編集後記

「途上国の現場で実際に生きている人のためになるのかどうか」という言葉が心に刺さりました。

物事が複雑な状態に進むにつれて

自分勝手な研究の方向性に向かうのではなく、目をそらさないで本質と向き合い考え続ける。

自身の人生でも大切にしていきたい言葉でした。

取材・文

​冨田 小畠

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