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【10月 書籍】生物から見た世界 ユクスキュル/クリサート 著 日高敏隆・羽田節子 訳

【要旨】

本書は未知の世界への散策を記したものである。生物は機械であるにすぎないとする生物機械説に対して、知覚と作用とをその本質的な活動とする主体として生物をみなす考えがある。そのような考えをもつことは、主体が知覚するものがすべて知覚世界になること、作用するものがすべて作用世界になることにつながり、環世界という1つの完結した全体に通じる門が開かれることになる。環世界が現実に存在し、ここに無限に新しい研究分野が開かれることを読者に確信してもらうことが本書の願いである。

本書では、環境と環世界、環世界の諸空間、最遠平面、知覚時間、単純な環世界、知覚標識としての形と運動、目的と設計、知覚像と作用像、なじみの道、家と故郷、仲間、探索像と探索トーン、魔術的環世界、同じ主体が異なる環世界で客体となる場合、結びという構成になっている。環境と環世界の違いや動物が世界をどう見ているかという捉え方について考えさせられる一冊である。


【感想】

他の生物にはどのように世界が見えているかという考えは、環境という客観的な捉え方であり、科学的には客観的な事実が重要視されている。本書のように、生物がどのように世界を見ているかという考え、すなわち本書で述べられている言葉を用いるならば、環世界という主観的な捉え方が大切である理由を様々な事例を通して考えることが出来た。また、主観から免れないという主張は、カントの純粋理性批判に通ずるものがあり、哲学的にアプローチしているところが斬新で面白かった。本書の中で特に印象的であったのが、相手が知覚するにはその対象の環世界に入る必要があるという点である。異なる種には異なる環世界が存在するとあった。人間では個人レベルで環世界が異なるように感じる。そのように仮定すると、相手の環世界の中に入り、意思疎通を図らなければ、互いに理解することが出来ないはずである。本書は1933年に書かれたものを2005年に日本語訳として発行されたものであるが、環世界というものの考え方が現代にも通じ、異なる視点から物事を捉えなおすことの大切さを改めて感じることが出来た。人間と同様、生物には目的があるという幻想を捨て、設計という観点から生命現象を整理することは、現代で考えるべき自然環境保全の問題解決に必要であると感じた。

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