小林勉. "国際開発とスポーツ援助―スポーツ援助の動向と課題― ." スポーツ社会学研究 22-1(2014): 61-78.
この記事を読んでくださっている皆さんは、少なからず”SDGs”ということばを耳にしたことがあるだろう。
では、”SDP”はいかがであろうか。
今回、筆者(私)が題材に選んだ論文では、この”SDP : Sport for Development and Peace(開発と平和を後押しするためのスポーツ)”の可能性と課題について言及されている。
「スポーツには、途上国に住む人々の暮らしを変える力があるか」
突然、こんな質問をされたとき、あなたはどのような返答をするだろうか。
今から40年以上前の国際開発学者たちなら、おそらく「No!」と断定したに違いない。
そんななか、研究者たちを取り巻く世界は、少しずつ変化していた。
2003年、国連総会で「教育普及、健康増進、平和構築の手段としてのスポーツに関する決議」が採択されると、世界の開発戦略は、スポーツというツールを大々的に用いるようになっていくのであった。
ここで、ある疑問が生じる。
ーなぜ、こんなに頼りげない手段(=スポーツ)を用いるのか?ー
本論文によると、その答えはこうだ。
①国家(特に、政府レベル)による途上国開発の失敗
②社会・経済のみに焦点を当てた政策の失敗
つまり、従来型の「大きな開発」に換わる方法が求められたのである。
SDPが目指したのは、NGO・NPOなどによるコミュニティレベルでのスポーツ支援(「小さな開発」)だ。
急速な近代化のなかで失われていく「つながり」を、スポーツの力で復興させることができるという希望が見出されたわけである。
しかしながら、SDPには、残された課題もたくさんある。
その最たるものが、「先進国が、先進国の風土・文化のなかで生まれたスポーツを、先進国の都合に沿うかたちで途上国に伝達・普及させる」という構図である。
先進国に住む私たちが、「世界中の人とスポーツを楽しみたい」という善意のみで、知らず知らずのうちに途上国を”再侵略”しているとすれば、これほどの悲劇(喜劇?)はないだろう。
”sport”の語源には、「日々の憂いから逃れ、楽しむ」といった意味があるという。
スポーツを通した開発には、語源通りにただ楽しむ道はないものか…
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